3歳を迎えて、0歳児〜2歳児の時期よりも少し落ち着いてきたと毎日感じます。
一時期、反抗期がきて大変だったのですが、その反抗期も最近少しづつ落ち着いてきました。落ち着いた最大の理由は、私自身が「穏やかに」なったことかと感じています。
夫婦間の問題、仕事のストレス、全て完璧にやりたいのにできない自分への腹立ち、様々な要因が自分自身を追い詰め、毎日、嘆いたり、イライラしたり、キレてしまったり、心が毎日ジェットコースターのような日々が長く続いていました。
夫婦間の問題は、夫の努力で改善しつつあります。仕事のストレスが軽減した理由は、半ば「諦め」です。育休からの復帰後、未経験の領域を一任され、上司からの期待もかかっていましたが、成果が全く出せませんでした。模索しても失敗に終わる虚しさ、リモートなので誰にも頼れない、経験ないことを一人でする孤独感、さらには、1歳児の子どもを育てながらそのストレスがかかっていて、正直、私生活にまで影響がありました。結果が残せず、評価も下がってしまい、落ち込みましたが、ある意味、吹っ切れました。というか、開き直りました。開き直らないとやってられません。
そもそも、育児をしながら、仕事をバリバリこなすことは私には難しいです。人によっては、やり遂げる人もいるでしょう。人によって向き、不向きがあると思い知らされました。元々は、子どもができてもバリバリ働くんだ!と意気込んでいましたし、できると信じていました。しかし、育児と家事をしながら働くのは、新しいことをして成果を求められる重圧には私は耐えられませんでした。リモートで働いているおかげで助かる場面は多々ありますが、自分は面と向かって接客をするなどのコミュニケーションする業種が向いているだろうな、と思います。やってみたかった業種を今させてもらっており、今後経験を積めば、考えも変わるかもしれませんが辛い、という気持ちが大きかったので、半分諦めた心持ちになれたことは、自分の心を壊さないために必要でした。しっかり最低限の仕事はしていると思いますが。期待以上は出せないです。そんなモチベーションと心境です。
大きな2つのストレスが軽減されて、子どもに対する気持ちも穏やかになってきました。モンテッソーリを少し学んで、常に思っているのは、子どもは親にとっても対等な存在であることです。子どもも立派に権利があります。拒否する権利もありますし、平等なはずです。よく「お母さんの言うことを聞きなさい!」と言うセリフがありますが、腑に落ちません。子どもは親の言うことを聞く生き物ではないですし、子どもにも気持ちや意見、願望があります。それを抑え込んで言うことをきかせる、のは違うと思います。
疲れ切っていたり、生理前だったりするとそんな考えは消え去り、怒ってしまうこともありますが、基本的な考えは、子どもは平等である、と言うことを心に刻んでいます。そのお陰か、駄々をこねて大泣きしたりすることはあまりありません。駄々こねて何か言ってきた時は、必ず「○○したいな〜」って言うといいよ。と普通の言い方を何度も何度も教えてあげます。その方が、聞く側も素直に意見を聞いてあげることができます。時間や家のルールによってダメなものは、しっかり理由を言いできないことを伝えます。ほとんどの場合、理由をしっかり伝えると、わかったと納得してくれます。
日々の積み重ねは大事だな、と実感します。
我が家では、保育園のお迎え後、家に到着してから夕飯を作ります。その夕飯を作っている間だけ、テレビを見ることをOKとしています。大体30分ほどかかるので、アニメを2話見れることになります。
今までは、2話見たら、もっと見たいとこの世の終わりかのように大泣きして訴えてきました。そりゃみたいですよね。そこで、「〇〇くんとママがテレビ消すのどっちがいい?」とどちらが消すか聞いて、大概どっちもやだ〜と大泣きするのですが、毎回何から選択肢を与えるようにしていました。結局大泣きしたまま、私が消すことがありましたが、時には、「僕が消したかった〜」と大泣きすることも(笑)その時は、ごめんごめん、とまた電源をつけて息子に消させてあげる、という一連の流れを続けていました。
また、何回見ていいんだっけ?とテレビを見る前に欠かさずに確認していました。
最近では、2話終わるとすぐに、テレビを消すようになりました。たまに、もうすぐ終わる〜?まだ見てていいの〜と聞いてくることはありますが、2回見たでしょ〜?と言うとしっかり消してくれます。
3歳の成長を感じます。こちらも無理矢理させるのではなく、選択肢を与えて自分で選んでいる、という流れがスムーズに動いていると思います。これもモンテッソーリのお陰だと感じます。
コメント